終幕

本日、死へのカウントダウンを加速させる出来事が起こりました。タイミングが良いのか悪いのか…
雨も降っていないし、死ぬには良い日なのでしょう。深夜に決行の地に辿り着けるか、若干の不安材料は残っていますが
覚悟は決まっています

人生を振り返ってみましたが、くだらないという一言しか出て来ませんでした
夢も恋も無く惰性で生きてきた日々。そういう日々を過ごしている人はこの世界には沢山居るでしょうが、私の場合はそれに加えてマイナス要素が複数あった。もう足掻くのも面倒になったのです
自殺する人というのは一つの要因だけで自殺に思い至るわけではなく、複数の要因により生きる気力を失った人らしいので、自殺者の要件は満たしているようです

この日記を通して、私と同じように何も出来ずに苦しんでいる人を先導するような存在になりたい…と思わなくもないですが、死ぬよりは生きる意味を見出す方が当然良いので、自殺志願者の方は私の日記を読んで思考をトレースしてみて下さい。何か感じるものがあったら同調しても良いし反発しても良い

それでは、さようなら

落日

決行予定地の下見を兼ねて街をふらついた。老人、馬鹿そうな学生の群れ、主婦、若い男女の番い。様々な人間が生きるための行動をとっていた
それらを見ても気持ち悪いとしか感じないのは、普通の人生を送っている人を妬んでいるのだろうか

夕陽が沈む頃予定地に着いた。目測したところ、高さ、地上の状態から、頭から落ちれば即死は可能といった感じだった。足から落ちた場合、死ねる確証は無い
落ち方については、普通に飛び降りるよりは壁に腰掛けた状態から後ろ向きに落ちるのが頭から着地しやすそうだ
音楽でも聴きながら、目を瞑って体を重力に任せるようにすれば恐怖を抑えながら実行出来るだろう
それでも生き残ってしまったら?その時はその時だ。その状況になってむしろ生きる気力が湧いてきたら物書きの仕事でも目指してみようか
そんな都合の良い話は無いだろうけれど

諧謔の効いた遺書を用意して、遺書.txt.exe的なソフトで、遺書を開くと同時にHDD内のあまり人に見せたくないファイルが削除されるように設定した
死んだ後の現世に配慮する必要なんて皆無だし放置しておいても良かったんだけど、立つ鳥跡を濁さずとも言うし。一応の対処はしておく

シミュレート

自殺志願者・未遂者の書き込みや、自分で決行予定地を見た記憶を元に死に様を想像している。電車に貫かれるよりは地面に叩きつけられる方が現実味がある
しかし飛び降りは難しそうだ。頭から落ちればほぼ死ねるけれど足から着地したら下半身しかダメージを受けないだろう。飛び込むように落ちれば頭へのダメージを狙えるだろうか
死ぬ事自体は怖くない。未遂に終わって障害が残るのが一番怖い、再度決行しようにも監視がついて難易度が上がってしまう。それに足をやられれば飛び出すのも飛び降りるのも難しくなる
そこまでのリスクを負うならまともに生きる道を選ぶべきなのではないか、そんな考えもよぎる。しかしそれはそれで難しいのだ
努力しても報われることはない。特にスタート地点がゼロどころかマイナスにある者は惨めに足掻く様を笑われるだけ。努力すれば報われるなんて幻想の話、そうあって欲しいというお花畑な人間の願望、あるいは成功者の戯言
この世界に産み落とされたことを呪って中年になってから自殺するなら今死んでも同じ事じゃないか

めんどい

何事にも価値を感じられない、生きているのが面倒、人生の意義を得ようと真面目にやればより面倒が降り掛かってくる、死のう
4年前に私は決めていた、3年後に生きる意味、目標を見つけられなかったらドロップアウトした者として潔く死のうと、そして潔く死ねずに4年目の今がある、そろそろ潮時だ
精神的に限界が来たら死のう、そういう時はもう思考能力は相当衰えているだろうから予め死ぬ方法を決めておこう、方法はいくつもある
方法を決めたらこれからの日々は最後の時が来るまでの退屈しのぎとして発狂BMS(SP)の段位上げにでも勤しむとしよう

愚者

今日プレイした音ゲーの話。従来の運指で50回ほどやってもEX HARD出来なかったConfiserie(SPA)が手首皿を導入したら数回で埋まってしまって達成感とやるせなさのせめぎ合い
手首皿導入でクリア面・スコア面共に可能性が広がったので良いんだけど

趣味(音ゲー・インターネット等)を楽しんでいる時以外はいつもゴミみたいな人生だな、死にたいな、と思ってる
食事だって食べないと動けなくなるから義務的に食べているだけで、マンネリ化しきったメニューには毎日うんざりさせられる
最後に美味いものを食べたのがいつだったのか、美味いものとは何だったのかもう思い出せない
今は食べ物があるからこんな事を書いていられるけど、働かざるもの食うべからずな状況になったら自分はどうするんだろう。「NHKにようこそ!」で佐藤が仕送りを打ち切られた時みたいに
それに限らず、選択を強いられた時には、タイムリミットが来たのだと思って潔く死ねたらいいな。足掻いた所で何一つ成し遂げられず年老いていく惨めな自分とその人生を省みて悲しくなるだけなんだから

鉄の芋虫

長いことクズ生活を続けていたおかげでメンタルが豆腐どころじゃない柔らかさになっている。バイトの面接を受ける電話のシミュレート等をするだけで心臓に負担がかかるくらい弱い
高校の頃は多少緊張しつつもこの手の事はあっさり終わらせられたんだけれど。立場を得ているか否かでここまで人間の精神が弱くなるものとは思わなかった
実際、初対面というか会ってすらいない人間と会話する時に緊張しない人はほぼ居ないのだろうけど

昨日は星もあまり見えない寒い夜だった。帰り道、踏切に足止めされて視界が赤色に染まった。直後、風と電車が吹き抜けていった
このひなびた土地を走る電車の中にも、互いに背を向けあい目を伏せて、家へと帰るであろう人が大勢居た。あの人たちの数だけ世界の視点があり、人生がある
私は私の視点からでしか世界を見られない。なので私がこの電車に飛び込んで死んでいたら私の目から見た世界は終わりを迎えるのだけど、この電車に乗っている人たちの世界は続いていく。普通の人間が死んでも世界が見えなくなるだけで滅びるわけではない、世界が滅びるというのは誰の視点での事なのだろう
そんな事を考えているうちに踏切は上がっていた